大日寺(だいにちじ) 弘法大師がこの付近で修行している時、大日如来が現れ一寺を建設せよと告げられたそうです。そこで、大日如来を刻み本尊とした。 長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の兵火により焼失(天正の兵火)したが、徳島藩主により再建(江戸時代)された。またもや、長宗我部元親です(汗) 門の真正面に見える「しあわせ観音」が印象的でした。 かつて、一の宮神社(阿波国総鎮守)と同じ敷地内で管理もされていた。 しかし、明治時代の神仏分離令により別れた。道路の向かいにある神社がそうです。大昔は遍路の札所として、一の宮神社が参拝されていた時代もあった。 ご本尊は、一の宮神社の物が移され大日如来は脇仏としてある。なので、昔から拝んでいる物自体は変わっていないのだが、政治的な歴史の面影が感じられますね。神仏習合の雰囲気も残っています。 駐車場から道路を渡るのですが、絶妙に車が走ってくるので 気をつける必要がありました。 本尊真言・おん まか きゃろにきゃ そわか 御詠歌・阿波の国 一の宮とや ゆうだすき かけてたのめや この世後の世 |
常楽寺(じょうらくじ) このお寺は、56億7千万年後までの救済を考え続けている所です。 おわかりですね。弥勒菩薩を本尊としている所です。霊場唯一だそうです。 弘法大師が修行をしている時、弥勒菩薩(みろくぼさつ)が現れ、その姿を掘りご本尊としました。 大師は「吾れ閉眼の後、兜率天に往生し弥勒慈尊の御前に侍すべし。56億余の後、必ず慈尊と御共に下生し、吾が先跡を問うべし」との言葉を残しています。 阿波守護大名の祈願所にもなっていました。長宗我部元親で焼失。徳島藩主にて再建。またまたです。 あららぎ大師もあります。木の枝の間に弘法大師像があります。見逃してしまわないようにチェックですね。 ここは、断層がむき出しになっている所。非常に珍しい。断層の岩のデコボコが自然と階段の役目を果たしています。感動して、地面の写真を沢山撮ってしまいました。さすが、弥勒菩薩降臨の場所です。 本尊真言・おん まいたれいや そわか 御詠歌・常楽の 岸にはいつか いたらまし 弘誓の船に 乗り遅れずば |
国分寺(こくぶんじ) 四国霊場には、4つの国分寺があります。国分寺は、聖武天皇により全国に 68ヶ所あります。行基菩薩で、本尊も行基が作ったものです。 弘法大師は、ここを訪れ四国霊場に定めた。 かつて壮大な規模を誇っていましたが、お察しは正解です。長宗我部元親の兵火により焼失、阿波藩主により再建の歴史があります。礎石を見ると繁栄の後が偲ばれます。 塔の礎石などが発掘されて、徳島県の史跡に指定されてます。 桃山時代の作庭があり、平成12年に国 の名勝に指定。 300円で見ることが出来ます。非公開の時もあるそうですので納経所で確認。 本尊真言・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか 御詠歌・薄く濃く わけわけ色を 染めぬれば 流転生死の 秋のもみじば |