観音寺(かんのんじ) 前の15番札所の勅(天皇の命)願道場としてが始まりの所。弘法大師が訪れ本尊を祀り「観音寺」と名づけた。 ここは、もう一つの説があり、弘法大師が寺を開き大師作の千手観音を本尊として不動明王像と毘沙門天像が脇寺像としているとも。 また、訪れた時に千手観音などを納めたともあります。 長宗我部元親で焼失、阿波藩主蜂須賀光隆の支援を受け宥応法師が再建(1659年)。 太子堂の近くに「夜泣き地蔵尊」があり、子供の健康や成長にご利益があると言われています。 駐車場から直ぐなので、楽に参拝出来ます。ショートカットのような道がありましたが、ちゃんと門から入りたいですね。 本尊真言・おん ばさら たらま きりく 御詠歌・忘れずも 導きたまへ 観音寺 西方世界 弥陀の浄土へ |
井戸寺(いどじ) 天武天皇が勅願道場として建立。名は「妙照寺」だった。しかし、弘法大師が訪れた時、水不足に苦しんだ村人の為に自らの錫杖(しゃくじょう)で井戸を掘った。一夜にして清水が湧きでた。そこで井戸寺と改められた。 その井戸が残っています。見れますよ。のぞき込んで自分の姿が写ると、 無病息災。映らなければ、三年以内に厄災に!気をつけて!恐らく、注意しなさいって教えてくれるって事でしょうね。 かつては壮大な規模だったが長宗我部元親で焼失、のちに再建。 他にも、細川 清氏の反乱で堂宇焼失、弟の細川詮春が再建。 昭和43年の焼失事件の時は、本尊は救い出された。 七仏薬師如来は全国でも珍しいそうですよ。開運のご利益。 ここの納経所の雰囲気がとても良かった。記憶に残ってます。 いろいろな用品が購入出来る。 本尊真言・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか 御詠歌・おもかげを うつして見れば 井戸の水 むすべば胸の あかや落ちなん |
恩山寺(おんざんじ) 聖武天皇の勅願で行基菩薩が開いた道場が始まり。弘法大師が修行していた時に、困った事件が起こった。 人々の災厄を取り除く女人禁制の道場だった。しかし、大師の母親が訪ねて来たのです。大師は、滝に打たれて修行をし女人解禁を成就。母を迎え入れる事が出来たそうです。 母は托髪して、この寺で出家。その髪を奉納した。大師は自身の像を刻み奉納した。よって、恩山寺としたそうです。「我が願いは末世薄福の衆生の難厄を除かん」との言葉を残しています。 山門の右にある毘欄樹は大師が植えたそうです。県の天然記念物。 長宗我部元親で焼失、再建の歴史あり。 母が奉納した髪の毛は「大師御母公剃髪所」に残っているそうです。 「源義経上陸の地」の石碑もあります。 本尊真言・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか 御詠歌・子を産める その父母の 恩山寺 訪いがたき ことはあらじな |