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 明石寺(めいせきじ)

 6世紀、鉄明天皇の勅願により唐からの渡来仏で千手観音菩薩を祀るために創建。荒廃。弘仁13年(822年)弘法大師が法華経を納めて再興。

 鎌倉時代に再び荒廃。源頼朝が修復している。

 建久5年(1194)、頼朝は阿弥陀如来像を奉納。

 古くは「あげいしじ」と読んでいたらしい。美しい女神が願をかけて山に石を運んだ伝説が元になっています。

 奥の院の白王観現には、「十八、九の娘が、軽々と大石を両腕に抱き歩いていたが、当所まで来たとき夜が明けてしまったので、そのまま置き去ってしまった。その女は観音の化身か龍女か、その石を白王権現と崇め、祠を奉った」と宇和旧記にあります。

 夫婦杉があります。


本尊真言・おん ばざらたらま きりく そわか

御詠歌・聞くならく 千手の誓ひ 不思議には 大盤石も 軽くあげ石
 大寶寺(だいほうじ)

 お遍路ちょうど半分のここは、百済から来た聖僧が携えてきた十一面観世音菩薩を安置したのが始まり。のちに、文武天皇の勅命によって寺院を建設。

 弘仁13年(822年)に弘法大師が来錫、天台宗から真言宗に改宗。

 仁平2年(1152年)に失火により寺は焼失。
保元元年(1156年)、後白河天皇の勅使が天皇の脳の病気平癒を祈願。
病が治ったため、天皇は妹宮を住職として下向させ、勅願寺として七堂伽藍を有する寺院として再興。

 長宗我部元親で再び焼失、元禄時代に再興。明治7年にも焼失。
地元の人々によって再興された。

 脳の病に霊験があるとして受験生の参拝も多いそうです。

 お堂と五輪塔は後白河天皇の妹宮の遺体を祀っている。
脳、頭の病気に霊験あらたからしいです。


本尊真言・おん まか きゃろにきゃ そわか

御詠歌・今の世は 大悲のめぐみ 菅生山 ついには弥陀の 誓いをぞまつ
 岩屋寺(いわやじ)

 弘仁6年(815年)に、弘法大師が霊地を探して山に入った。山中で、神通力が使える女性(法華仙人)と出会いました。仙人は弘法大師に山を献上。
不動明王の木像と石像を刻み、木像は本尊として石像は奥の院の岩窟に祀って秘仏としました。つまり、岩山全体が本尊って事です。

 山号は「海岸山」。山高き谷の朝霧海に似て松吹く風を波にたとえむ」の歌から来ている。この歌は、弘法大師が読んだものです。

 霧が降り、山々の頭が出ている景色が海のようって意味です。

 本堂の右の岩壁上部の窪みに阿弥陀如来像があります。

 本堂に向かう石段の下に、奥の院「穴禅定」があります。かなえる不動・地蔵尊(先祖供養)・弘法大師の石像が最奥に祀られています。地蔵尊の下から水が湧いている。

 ここは、凄まじい坂と階段を登ります。覚悟しておく必要があります。
でも、小さい子供もご年配の方登っています。疲れ果てたのは私だけ(汗)
でも、ほんとに覚悟しておく方がいいと思います。


本尊真言・のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん

御詠歌・大聖の 祈る力の げに岩屋 石の中にも 極楽ぞある
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