善通寺 (ぜんつうじ) 善通の名前は、弘法大師の父の佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)の法名。 弘法大師は、父から土地の寄進を受け、大同2年(807年)に建立し始め、弘仁4年(813年)に落成。現在は真言宗善通寺派の総本山。 お大師さま御誕生の地であまりにも有名。善通寺は、京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡。 お寺の中は、広大な敷地でした。 大師堂は、弘法大師が生まれたその場所に建てられているそうです。御影堂と呼ばれています。大師堂の事ですので、大師堂を探さないようにね。 戒壇めぐりがあります。暗い中を進む。途中の祭壇で再現された弘法大師の声を聞く事が出来ます。 五重塔があったり、五百羅漢があったり、お砂踏みや見どころがとても沢山あります。東・西に大きく分けてあります。 五鈷杵がさわれたり、大きな仏の像など参拝出来ます。 本尊真言・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか 御詠歌・我住まば よも消えはてじ 善通寺 深き誓ひの 法のともしび |
金倉寺(こんぞうじ) 和気道善(円珍の祖父)により宝亀5年(774年)に道善寺として創建。延長6年(928年)、醍醐天皇の勅命で「金倉郷(当時の地名)」から名前をとり現在の金倉寺と改名。 弘法大師の甥の智証大師(円珍)が生まれた寺です。 乃木 希典(のぎ まれすけ)が客殿を仮住まいにしていた時期がある。 その時、妻が東京から訪ねて来たが「女人禁制の寺」だったので、会えなかった。松の木の下で呆然とした話が残っています(乃木将軍妻返し松)。 乃木将軍妻返し松は、残っています。見逃さないように。 おみくじに金箔がはいっている物があり、その金を「同行二人」と遍路姿の 七福神に貼り付け、ご利益をいただく事が出来ます。 もう、金ピカで、どのくらいの人が貼り付けたのか分からないほどです。 ぜひ、ご利益を賜りたいですね。 円珍初湯の井戸やお砂踏みがあります。 長宗我部元親で焼失・復興の歴史あり。 本尊真言・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか 御詠歌・まことにも 神仏倉を 開くれば 真言加持の 不思議なりけり |
道隆寺(どうりゅうじ) 和気道隆が乳母を誤って射殺してしまった。これを悲しんで桑の大木を切り、薬師如来を刻んで堂に安置したのが起源(和銅5年)。周囲5メートル近い桑の大木が、夜ごと妖しい光を放っており、この光を怪しみ矢を射る。 すると。女の悲鳴。乳母が倒れて死んでいたそうです。その桑の木で仏像を彫り、草堂に安置して供養。不思議な事に乳母は生き返ったそうです。 後に、唐から帰朝した弘法大師に住職が懇願し、90ンチほどの薬師如来像を彫造、その胎内に父・道隆公の像を納めて本尊とした。次の住職は、弘法大師の弟・真雅僧正(法光大師)が務めた。その次は円珍(甥)が務めている。 長宗我部元親で焼失・復興の歴史があります。また、大地震(貞元年間)などもありましたが、お寺は守り続けられています。 ここは、お寺を囲むように観音像が立ち並んでいます。 大師堂の前には、衛門三郎の像があります。 眼病の寺としても有名です。 珍しく、稲荷神社が中にありました。 本尊真言・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか 御詠歌・ねがいをば 仏道隆に 入りはてて 菩提の月を 見まくほしさに |