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 郷照寺(ごうしょうじ)

 行基が神亀2年(725年)に阿弥陀如来を本尊として開基(道場寺)。弘仁6年(815年)に弘法大師が伽藍を整備。その時、自身の像を掘って厄除けの祈願をしました。後に一遍上人が踊り念仏の道場寺とした。その頃に郷照寺に改称。

 四国霊場で唯一の時宗。真言宗と時宗が宗派を超えて同居。珍しい。

 ここの釣り鐘には、話が残っています。江戸時代、釣り鐘が割れて鳴らなくなりました。お寺の裏の山に保存してあった銅鏡を材料に直すことになりました。ちょうど、腕利きの職人が大阪から遍路をしてこの寺にいました。銅鏡を運ぶ時、手伝ってくれたおじいさんがいましたが、運び終わるといなくなってしまいました。
 お礼を言えなくなってしまいましたが、春日の明神さまだろうと噂になりました。
直った鐘は、とても良い音で対岸の本州まで聞こえ、音色に誘われて龍神が現れたそうです。時は過ぎ、第二次世界大戦の時、材料として集められそうになります。
しかし、歴史的な価値のため、没収されなかったそうです。

 瀬戸大橋が望める絶景です。年を重ね「ボックリ」逝きたい人は、よく拝んでと、団体つれた先達さんが「ポックリポックリ〜」と歌いながら言ってました。病魔を除く
「庚申堂」があるからでしょうか。


本尊真言・おん あみりた ていぜい からうん

御詠歌・踊りはね 念仏唱う 道場寺 ひょうしをそろえ 鐘を打つなり
 天皇寺(てんのうじ)

 古代に南海の大魚を退治しに向かった讃留霊王ら88人の兵士が大魚に船を呑まれて倒れた。横潮明神が泉の水を持ってあらわれ、兵士に飲ませ全員が命を吹き返した。この泉は「八十場(やそば)の霊水」と呼ばれるようになった。
 その後、弘法大師が八十場の泉を訪れ十一面観音、阿弥陀如来、愛染明王の三尊像をつくって堂を建て安置し、また、薬師如来を刻んで安置して、泉を閼伽井としたのが起源。当初は摩尼珠院妙成就寺(まにしゅいん みょうじょうじゅじ)との名前だったそうです。

 焼失・廃寺等の災難から復興の歴史あり。

 三輪鳥居があります。珍しいもので、全国に3ヶ所しかない。
明神鳥居の左右にやや小さい脇鳥居を組み合わせた珍しい鳥居です。

 上記の八十場(やそば)の霊水で冷やしたところてんは有名です。


本尊真言・おん まか きゃろにきゃ そわか

御詠歌・十楽の 浮世の中を たづぬべし 天皇さへも さすらひぞある
 国分寺(さぬきこくぶんじ)

 聖武天皇の勅命を受けた行基菩薩が巨大な十一面千手観音像を刻み、本尊。その後、弘仁年間(810〜823)にに弘法大師が霊場に定めた。

長宗我部元親で焼失・復興の歴史があります。

 周辺には創建当時の本堂の礎石・33個が点々と配置。唐招提寺の金堂に匹敵する規模だった。山門の右手には七重の塔の礎石も残っており、現存していれば京都・東寺の五重塔を超す大塔だったそうです。

 全域が国の特別史蹟と言っても過言ではないほど国の特別史蹟が多い。

 この寺の鐘は、高松城に鐘を移築(思ったより重く、ひと苦労)した時さっぱり良い音でならなかった。その上、疫病が流行った。
 夢で「国分寺へ帰りたい」と嘆いた為に返された。銅鐘(重要文化財)

 いろいろ遺跡があります。


本尊真言・おん ばさら たらま きりく

御詠歌・国を分け 野山をしのぎ 寺々に 詣れる人を 助けましませ
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