八十八総奥の院

大瀧寺(おおたきじ) 四国八十八ヶ所総奥の院

 奈良時代の神亀3年(726年)に行基が大滝山上に阿弥陀三尊を安置。空海は、青年期に「阿国大瀧嶽ニ躋リ攀ヂ(のぼりよぢ)」て求聞持法を修したと自著「三教指帰」に記している。

 この大瀧嶽は当山とも、阿南市の太龍寺(舎心嶽)ともいう。
 
 平安時代前期の弘仁6年(815年)に空海が再びこの地を訪れて寺院を再興し、西照大権現の像を安置したといわれる。天安2年(858年)には聖宝(理源大師)が厄除厄流の大護摩を修法した。

 隣接する西照神社とは神仏混淆の山岳信仰宗教施設「西照権現」として存在していました。
ですが、明治初期の神仏分離令により大瀧寺と西照神社とに分離。

 別格二十霊場20番でもあります。

 雪が残っている時でした。下の方は全く雪もなく良い天気でしたが、お寺周辺
の道路とお寺は雪。ゆっくり運転が良いと思います。


本尊真言・南無西照大権現

御詠歌・霊峰の 岩間にひらく 法の道 厄をながして 衆生ぞすくわる

與田寺(よだじ) 四国八十八ヶ所総奥の院

 奈良時代、行基を開山として醫王山薬王寺薬師院の号で法相宗の寺院として創建。後に空海により真言宗。嵯峨天皇の時代に勅願寺、応長元年(1311年)には国内談議所、後小松天皇より虚空蔵院の院号を下賜。

 1,000を越す末寺を有する讃岐国屈指の大寺院だった。

 「厄除けの寺」「四国八十八箇所総奥の院」として有名。

 昔、このお寺の近くの三本松の港から神戸行の汽船が出ていた。
大窪寺(88番)から鳴門へ向かわないグループはそのまま汽船に乗る。
 
 しかし、時間がちょうどとは限らない。大窪寺は山の中。

 そこで、船を待ってる間の時間を利用してここにお参り。
総奥の院でもある與田寺に、無事に結願出来た事をお大師様に感謝&報告する人が多かったそうです。

 本堂裏山一帯には、四国霊場八十八ヶ所のミニ霊場もあります。
 西国三十三観音の写し霊場もあります。
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