29番30番31番




毘沙門堂


毘沙門堂(びしゃもんどう) 弟29番国分寺の奥ノ院

 三段の滝がある所です。
 弘法大師空海が大津の港についた時、滝の音に誘われて尋ねた所。
滝の近くにあるお堂には大師作とも言われる毘沙門天が祀られています。

 滝で身を清めていた時、毘沙門天を感得しその姿を刻んだ。

 この辺りに「瀧本寺」と言う大寺院がありましたが、江戸時代には退転
しています。毘沙門堂は残りました。

 すぐ横に「龍王院」と言う、大きなお寺があります。縁切りのお寺で有名
らしい所です。毘沙門堂は、龍王院の山門の横の道から少しだけ進んだ所
にあります。

 三段の滝は、凄く綺麗でした。

 間近まで行けます。赤い橋がかかっており、滝の近くまで歩けます。
険しいとか、危険って事はないです。


納経(御朱印)は、国分寺で書いてもらえます。


安楽寺

安楽寺(あんらくじ) 弟30番善楽寺の奥ノ院

 1千年以上前、菅原道真の長子である菅原高視が道真逝去
の知らせを受け、筑紫にある道真の菩提寺の安楽寺にちなんで建立。

 後に、12坊を有する大寺院になるが「応仁の乱」で焼失衰退しました。

 再建と衰退をへて、弘法寺の栄俊大徳により再興され、
このとき院号を金性院と改めた。しかし、明治時代の廃仏毀釈影響で、
廃寺となる。しかし、明治8年に常宝上人により再興された。

 このお寺は、30番善楽寺の代わりに「四国霊場八十八ヶ所 30番安楽寺」
として、1993年まで札所でした。善楽寺が廃寺となった時、札所となって
四国霊場八十八ヶ所でしたが、善楽寺が再興された後も札所として残り、
長く、30番は2つある状態でした。

 古い納経帳には、善楽寺と安楽寺のダブルハンコが押されていたりします。
現在は、奥ノ院として残っていますが、昭和(平成に入ってもしばらく)は、
ガイドブックにも、札所が2つあり、どちらでも納経(御朱印)が貰えると、
紹介されています。今は、奥ノ院の納経(御朱印)がいただけます。

 明治の廃仏毀釈の時に、ご本尊を避難した先が安楽寺だったらしいです。



船岡堂


船岡堂(ふなおかどう) 弟31番竹林寺の奥ノ院

 竹林寺の同じ敷地内にあると言っていいと思います。紹介によっては、
竹林寺から少し離れた別の場所って印象の紹介も見たことありますので。

 廃仏毀釈によって衰退していた竹林寺を再興するために尽力した
住職・船岡芳信和尚に因んだ堂です。

 再興の為に、全国を行脚し竹林寺復興の基礎を築いた人です。

 最後には、「この身をそのままの姿でこの地に留まり、人々の願いを
叶えよう」と、生きながら棺に入りました。

 ご本尊は不動明王。

 現在は大観光地にもなってる竹林寺ですが、船岡堂の辺りは静か。
ほんのちょっと歩くだけなのにって思いました。山門から本堂と大師堂、五重塔
が見えますが、さらに奥に続く道が見えると思います。そこを少し進みます。

 納経(御朱印)は竹林寺でもらえます。
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