24番25番26番


二十四番札所 最卸崎寺

最卸崎寺(ほつみさきじ)

 空と海が一体に見える御厨人窟(みくろど)にて、藤衣を着て雨風をしのぎ虚空蔵求聞持法の修行をした。19歳(延暦11年・西暦792年)の頃。
悟りを開いたのもこの時。明星が口の中に飛び込んできた神秘体験をする。

 後に、大同2年(807年)に嵯峨天皇の勅願により寺を作った。
本尊は、大師が刻んだ虚空蔵菩薩。

 現在の室戸市の大部分が金剛頂寺(西寺と呼ばれる26番札所)の寺領であった。ここ最卸崎寺は、その中で東の寺として東寺とも呼ばれる。
納経帳には、東寺と書かれる。

 御厨人窟は見学出来て多くの人が大師の真似をして口を開けたりしていました。ぜひ、お参りの時によるべきですね。室戸岬のやや東側にあります。
お寺の中から行くのじゃありません。55号線沿いにあります。看板あり。
凄く見過ごしてしまいそうな所です。一見、公衆トイレと自動販売機があるだけに見えたりするかも。スピード出してると。室戸岬付近になったら、意識してれば、迷うことなく到着出来ます。徳島から順打ちしているなら、ここ24番の前に通過するので先に参拝出来ますね。

 叩くと鐘の音が鳴る「鐘石」があります。数ある大師の不思議の1つ。
その音は、霊界まで聞こえているとか。

本尊真言・のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんあり きゃまり ぼり そわか

御詠歌・明星の 出ぬる方の 東寺 暗き迷は などかあらまじ

二十五番札所 津照寺

津照寺(しんしょうじ)

 山の形が宝珠に似ている事から、弘法大師が延命地蔵菩薩を掘り本尊とし寺を開いた。寺からの眺めは、太平洋を一望出来る絶景。

 船乗りからの信仰を集めているお寺です。きっかけは、400年ほど前。
遭難していた船に、一人の僧が現れ舵を取り港へ帰ってくる事が出来た。
僧を追って津照寺に参拝すると、本尊がびしょ濡れだった。
以後、舵取り地蔵として崇められています。

 また、火事の時に僧に姿を変えた本尊が村人に知らせて難を逃れた伝説も残っています。舵取り地蔵は火事取りの意味でも「かじとりじぞう」と呼ばれています。

 大師堂と納経帳は下にあり、本堂は長い急な階段を登っていきます。
途中に、竜宮城の建物のような鐘つき堂(門もかねている変形二重門)がありました。階段は、125段。


本尊真言・おん かかかびさんまえい そわか

御詠歌・法の舟 入るか出るか この津寺 迷ふ吾身を のせてたまへや

二十六番札所 金剛頂寺

金剛頂寺(こんごうちょうじ)

 弘法大師が、平城天皇の勅願で寺を開いた。本尊は薬師如来。
土佐湾に突き出た行当岬。その山頂にあります。

 24番札所で書いたように、西寺とも呼ばれます。現在の室戸市の大部分が金剛頂寺の寺領であった時の名残です。

 かつて金剛定寺(こんごうじょうじ)の名だったが、嵯峨天皇が現在の名前に改めた。くじらの供養塔もあり、クジラ寺との愛称もあります。

 ここの「金銅旅檀具」は有名。弘法大師が全国を旅した際に使ったものです。また、大師が炊いた米が1万倍になったと言われる一万倍の釜も残っています。みれますよ。

 そして、忘れてはならないのが長宗我部元親。寺を焼きに焼いた人です。
この人が寄進していた寺がここです。

 当初、女人禁制で4キロ離れた所に女人堂があります。今は、違いますよ。


本尊真言・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

御詠歌・往生に 望みをかける 極楽は 月のかたむく 西寺のそら


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