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一番札所 霊山寺

 霊山寺(りょうぜんじ)

 多くの人が、ここから打ち始めます。聖武天皇の勅願(天皇の命令)により立てらてたお寺です。ここには、本堂と駐車場にいろいろ買える所がありました。両方、納経所も兼ねています。特徴的な建物は多宝塔。室町時代の物です。

 池があり、りっぱな鯉が泳いでいます。目を引くのは、幼児像。池の中から沢山の幼児像が手を合わせ拝んでいます。私は、その幼児像が醸し出す雰囲気に飲み込まれました。十三佛堂もあります。

 また、本堂の中に入って行く事が出来ます。中に、お守りを買える場所があったりします。これは、珍しいです。更に奥には、お香袋のような物で手を清め、進み参拝できる時があります。天井には無数の灯籠があり、その明かりは神秘的で見入ってしまいました。

 弘法大師は、この地で煩悩の浄化・民衆と自らの厄難を払って心身の救済ができる霊場を開こうと修法した。その時、釈迦が説法をしている状況と似ていると感じ取りました。そこで「竺和山・霊山寺」と名づけた。

 この時の弘法大師の念持仏(私的に礼拝するもの)が釈迦誕生仏像で本尊の前に納められた。霊場の開設・成就を祈願。よって、のちに一番札所となりました。

本尊真言・のうまく さんまんだ  ぼだなん  ばく

御詠歌・霊山の 釈迦の御前に めぐりきて よろずの罪も 消えうせにけり


二番札所 極楽寺

極楽寺(ごくらくじ)

 なんとも、いい名前。そう思いました。とても美しい庭があります。長命杉と呼ばれる杉があります。なんと弘法大師様が植えた木で、樹齢1200年。この木に触ると長寿・家内安全のご利益があるとされています。行基が開基したと伝えられる。

 弘法大師が宗法で「阿弥陀経」を21日間。満願日に阿弥陀如来の姿を感得した。そして本尊に。阿弥陀如来の後光が遠く鳴門まで届き、魚が取れなくなった。その為、本堂の前に山を作って光を遮った。なので「日照山」なんだそうです。

 流産を繰り返す女性に弘法大師が祈願した所、子宝に恵まれた事から「安産大師」と呼ばれる。安産祈願に訪れる人も多い。

 本堂の登り口に、釈迦の足跡の仏足石があります。また、願掛け地蔵もありました。地獄極楽図なども。県指定文化財だそうです。

 天正10年(1582年)に火事。万治2年に阿波藩主が再建。どちらにせよ、
凄い古い歴史だなと思いにふけりました。
新しく建てたのも万治2年(1659年)だもんね。


本尊真言・おん あみりた ていぜい からうん

御詠歌・極楽の 弥陀の浄土へ 生きたくば 南無阿弥陀仏 口ぐせにせよ


三番札所 金泉寺

金泉寺(こんせんじ)

 寺の始まりは聖武天皇の勅願。弘法大師がいた時、日照りが続きました。
その為、井戸を掘った。霊水が湧き出て来て「長寿をもたらす黄金の井戸」となりました。寺の名前が金泉寺に改められました。

 この井戸は残っています。見学できますよ。のぞき込んで自分の姿が見えると、長寿になると言われています。

 源平合戦の時、屋島へ向かう途中に源 義経が立ち寄りました。
戦勝開運の祈願のためです。
 
 その時に弁慶が力試しで持ち上げた「石」が残っています。

 開運祈願の参拝者が多い所です。

 また、亀山天皇が法皇金泉寺にもしばらく滞在されたそうです。
かつては、今よりも大規模なお寺だったそうです。悪行の遍路を懲らしめる
「熊蜂」がいたそうです。痛そうです。合掌。

本尊真言・のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

御詠歌・極楽の たからの池を おもえただ こがねの泉 澄みたたえたる


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