30番31番32番


三十番札所 善楽寺

善楽寺(ぜんらくじ)

 大同5年(810年)に弘法大師が土佐一宮(土佐神社)の別当寺として創建した。明治時代の神仏分離令で廃寺となり本尊の阿弥陀如来と弘法大師像は29番札所の国分寺に移された。

 そして、善楽寺の廃寺により明治8年に再興された安楽寺が30番札所となります。昭和5年に埼玉県にあった東明院を移転して国分寺にあった阿弥陀如来と弘法大師像戻して善楽寺を再興しました。

 ところが、30番札所の正当性について「安楽寺」「善楽寺」で争いがおこってしまいました。ですので、しばらくの間、30番札所が二箇所あった。

 現在、安楽寺奥の院になり善楽寺が30番札所に落ち着いている。
この決着がついたのは平成6年1月1日。わりと最近まで30番札所は二箇所あったのです。

 首から上の病にご利益があるお地蔵さん「梅見地蔵」があります。

 石の手水を支えているのは邪鬼。


本尊真言・おん あみりた ていぜい からうん

御詠歌・人多く 立ち集まれる 一の宮 昔も今も 栄えぬるかな

三十一番札所 竹林寺

竹林寺(ちくりんじ)

 聖武天皇が文殊菩薩に拝する夢を見た。そこで、行基が霊地と悟ったこの地にに開いた。木に文殊菩薩像を刻み安置した。

 弘法大師が滞在している時、堂塔を修復したそうです。

 学問寺として名を馳せて、土佐の文化の中心地だった。

 土佐の高知の播磨屋橋で坊さんかんざし買うを見た…で有名な「よさこい節」の舞台でもあります。みごとな桜並木でも有名です。

 国の重要文化財を展示した宝物館や夢窓国師の作の庭園もあります。
こちらは有料。400円。納経所で買えます。

 高知県内で五重塔があるのはここだけです。また、文殊菩薩を本尊としている
のは、四国霊場の中でここだけです。

 同じ敷地内に奥の院「船岡堂」があります。五重塔の向かいにあります。
廃仏毀釈が吹き荒れた時、竹林寺も例外ではなかった。これを復興したのが住職(明治・大正)で傑僧・船岡芳信師だった。自分は死後も弘法大師に倣ってこの地に留まり人々を救済するという誓願を残して入定。遺骨を納めたカメを安置している。なんでも、米を一升供えて祈願すれば一生に一度だけ願いが叶うそうです。

本尊真言・おん あらはしゃのう

御詠歌・南無文殊 三世の仏の 母と聞く 吾も子心 乳こそほしけれ

三十二番札所 禅師峰寺

禅師峰寺(ぜんじぶじ)

 聖武天皇の勅願で行基が開いた。海上安全祈願しお堂を建設したのが始まり。弘法大師は、ここを霊地と感得。虚空蔵求聞持法を修業。
十一面観世音菩薩を刻んで本尊とした。

 仁王門の金剛力士像は鎌倉時代の物。

 岩肌がむき出しの景色は日常を忘れる。

 鎌倉後期・徳治3年(1308)の梵鐘、室町時代・永禄13年(1570)の「わにぐち(お参りする時にカランカランって鳴らすやつ)」。ともに県指定文化財。

 芭蕉の句碑「木がらしに岩吹き尖る杉間かな」
本堂前の奇岩の間にある。

本尊真言・おん まか きゃろにきゃ そわか

御詠歌・静かなる 我がみなもとの 禅師峰寺 浮かぶ心は 法の早船


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