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三十三番札所 雪蹊寺

雪蹊寺(せっけいじ)

 弘法大師の開基で「高福寺」の名前だった。鎌倉時代の大仏師・運慶親子が本尊を制作。この縁で「慶運寺」と改名。さらに、長宗我部元親の四男が
「雪蹊寺」と改めた。

 一時的に廃寺になっていた慶運寺を再興する為に住職を招き、長宗我部元親の菩提寺とした。元親の死後、四男が元親の法号にちなんで「雪蹊寺」。

 明治の神仏分離令で再び廃寺に。再興したのは山本太玄。
その弟子・山本玄峰は自らの眼病平穏を祈願して遍路中、ここで出家した。
この方は、生涯に17回お遍路をしました。苗字が同じ山本なのは、養子になったからです。

 「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」のセリフは山本玄峰の言葉。
有名ですよね。天皇を象徴とする象徴天皇制の発案したり、首相などの相談役になったりと、人々の尊敬を集めていました。

 天井絵を見逃さないように。

 山本玄峰にあやかって、眼病平穏を願う人が多い。


本尊真言・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

御詠歌・旅の道 うえしも今は 高福寺 後のたのしみ 有明の月

三十四番札所 種間寺

種間寺(たねまじ)

 四天王寺を建設するために来日した百済の仏師が暴風にあいこの地に近い港に漂着。航海の安全を祈願し薬師如来を刻んで本尊とし安置したのが始まり。

 その後、弘法大師が堂宇を建立し仏師が刻んだ薬師如来を本尊として安置して開基。唐から持ち帰った五穀を境内に蒔いたことから、
種間寺と名前が付きました。

 神仏分離令で廃寺になったが再興された。

 安産にご利益がある子安観音があります。

 ここの手水鉢(ちょうずばち)は、延宝5年(1677)に造られた。


本尊真言・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

御詠歌・世の中に 蒔ける五穀の 種間寺 深き如来の 大悲なりけり

三十五番札所 清瀧寺

清瀧寺(きよたきじ)

 車遍路の人にとって最大の難所。

 養老7年(723年)行基が本尊に薬師如来を刻み開創しました。
景山密院繹木寺との名前でした。

 弘法大師が五穀豊穣を祈願のために7日間の修法を行い、満願の日に
金剛杖でだんを突くと水が湧き出てきた。そして、池になった。
その時、清瀧寺(醫王山鏡池院清瀧寺)となりました。

 この水は、田畑を潤すだけでなく和紙をすくううえで重宝された。
このあたりは、高知県の紙どころ。

 本尊は国重要文化財。寺宝の懸仏は鎌倉時代作県指定文化財。

 厄除け薬師如来立像があります。製紙業者の寄贈で昭和8年。
台座の中で88段の戒壇巡りができます。

 金剛杖を突いて湧き出た泉は、奥の院「閼伽井の水」にあります。
清滝寺の前より農道を500mほど上ると祠があり虚空蔵菩薩を祀っている。

 山門の天井には龍の絵があります。本堂の軒下には、十二支の方角盤
があります。見逃しやすいので注意です。

本尊真言・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

御詠歌・澄む水を 汲むは心の清滝寺 波の花散る 岩の羽衣


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