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観自在寺(かんじざいじ)
平安時代初期大同2年(807年)、平城天皇の勅願により弘法大師が開いた。本尊の薬師如来、脇持の阿弥陀如来・十一面観世音菩薩は1本の霊木から弘法大師が刻んだと言われています。
一番札所から一番遠いお寺です。
親子のカエルがいます。「栄える」と願いながらなでると幸運に。
大師が刻んだ残りの木に、弘法大師は「南無阿弥陀仏」と刻み、人々の健康を祈ったそうです。その木を布に写し取ったお守りは人気が高いそうです。
一時は七堂伽藍を持ち四十の末寺を有したが火災で焼失、延宝6年(1678年)に再建。現在は、昭和34年の本堂が焼けました。その後再建。
本尊真言・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌・心願や 自在の春に 花咲きて 浮世のがれて 住むやけだもの
龍光寺(りゅうこうじ)
弘法大師がこの地で白髪の老人にあった。五穀大明神の化身と悟り、稲荷明神像を刻んで安置。本地仏として十一面観世音菩薩、脇侍に不動明王と毘沙門天を刻んで開基。神仏習合の寺として、稲荷としても栄えた。
神仏分離で旧本堂は稲荷社となり、今の本堂は新たに建立された。
山門の代わりに鳥居。仁王像の代わりに狛犬。珍しいですよ。
龍の目玉は10センチほどの黒石。祠いれて本堂に祀られています。
この地方の庄屋さんが奉納したとの伝説があるそうです。
本尊真言・おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌・この神は 三国流布の 密教を 守り給はん 誓いとぞ聞く
仏木寺(ぶつもくじ)
弘法大師がこの地で、牛を引く老人に進められて牛の背に乗った。すると、唐から投げた(三鈷とともに投げた)宝珠が木にかかっているのを見つけた。
ここが霊地だと悟った大師は、大日如来を刻んで、眉間に宝珠を埋めた。お堂を立て開創。
「一山仏木寺」と名づけた。
大師像は、正和4年(1315年)10月5日開眼と胎内銘が入っています。
胎内銘が入っている大師像では日本最古のものだそうです。
ここの鐘桜堂は、からぶき屋根。元禄時代に再建されたものだそうです。
いろいろ奉納された像がありました。家畜堂があり、動物を供養のために、ぬいぐるみなどが奉納された所もありました。
本尊真言・おん あびらうんけん ばざらだどばん
御詠歌・草も木も 仏になれる 仏木寺 なを頼もしき 鬼畜人天