52番53番54番
太山寺(たいさんじ)
「一夜建立の御堂」飛鳥時代の用明天皇2年(587年)、長者(真野さん)が
難波に船で向かう途中、高浜の沖で嵐に遭遇。信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が止んだ。光の差した場所に行ってみると十一面観音を祀った堂があり、感謝して寺院を建立するため、豊後より一晩で建材を持ち込んだ。そして、山腹に一夜にして寺院を建立。
そののちに、天平5年(733年)聖武天皇の勅願により行基によって本尊の十一面観音が安置。その十一面観世音菩薩の体内には、長者がみつけた観音像が納められてるそうです。
弘法大師は晩年、護摩供の修法のために訪れた。この時、真言宗になった。
天皇からの6代に渡り十一面観世音菩薩が奉納され、本尊と合わせ7体。
国の重要文化財です。本堂は、真言密教最大規模で国宝です。
仁王門は、鎌倉時代の物。
本尊真言・おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌・太山に 登れや汗の 出でけれど 後の世思えば 何の苦もなし
圓明寺(えんみょうじ)
円明寺と書いてもいいらしい。天平勝宝元年(749年)聖武天皇の勅願を受け行基が本尊阿弥陀如来、脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩を刻んで開基。
弘法大師が荒廃した寺を整備し、四国霊場に定めた。後に兵火で荒廃・復興の歴史がある。
ここは、江戸時代に隠れキリシタンが礼拝していた歴史があります。
なので、太子堂のそばにはキリシタン灯籠や聖母マリア像も残っています。
非常に珍しい。
さらに、四国霊場最古の銅板の納め札が発見されています。
発見したのは、アメリカ・シカゴ大学の博士。遍路をしていた時に発見。
江戸時代初期の納め札だそうです。保存されています。
本尊真言・おん あみりた ていぜい からうん
御詠歌・来迎の 弥陀の光の 圓明寺 照りそう影は 夜な夜なの月
延命寺(えんめいじ)
一つ前のお寺と間違ってしまいそうな名前ですが、圓明寺(えんみょうじ)と同じ名前だった。53と間違えやすいので、明治時代に延命寺に改名。
聖武天皇の勅願を受けて養老4年(720年)に行基が不動明王を刻みお堂を建立して開基。弘仁年間(810年〜824年)弘法大師が嵯峨天皇の勅命によって再興し、圓明寺と名付けた。
ここの釣り鐘。長宗我部元親の軍に奪取さてた時、自分で逃げた(!)そうです。私は、思わず想像して笑ってしまいました。
真念がお遍路に残した指標があります。四国霊場で二番目に古いそうです。
火伏せ不動尊の本尊は、宝冠をかぶった珍しい物。再三の火事から助かってるのでこの名前だそうです。
本尊真言・のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん
御詠歌・くもりなき 鏡の縁を ながむれば 残さず月を うつすものかな