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七十五番札所 善通寺

善通寺 (ぜんつうじ)

 善通の名前は、弘法大師の父の佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)の法名。
弘法大師は、父から土地の寄進を受け、大同2年(807年)に建立し始め、弘仁4年(813年)に落成。現在は真言宗善通寺派の総本山。
 お大師さま御誕生の地であまりにも有名。善通寺は、京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡。

 お寺の中は、広大な敷地でした。

 大師堂は、弘法大師が生まれたその場所に建てられているそうです。御影堂と呼ばれています。大師堂の事ですので、大師堂を探さないようにね。

 戒壇めぐりがあります。暗い中を進む。途中の祭壇で再現された弘法大師の声を聞く事が出来ます。

 五重塔があったり、五百羅漢があったり、お砂踏みや見どころがとても沢山あります。東・西に大きく分けてあります。

 五鈷杵がさわれたり、大きな仏の像など参拝出来ます。


本尊真言・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

御詠歌・我住まば よも消えはてじ 善通寺 深き誓ひの 法のともしび

七十六番札所 金倉寺

金倉寺(こんぞうじ)

 和気道善(円珍の祖父)により宝亀5年(774年)に道善寺として創建。延長6年(928年)、醍醐天皇の勅命で「金倉郷(当時の地名)」から名前をとり現在の金倉寺と改名。

 弘法大師の甥の智証大師(円珍)が生まれた寺です。

 乃木 希典(のぎ まれすけ)が客殿を仮住まいにしていた時期がある。
その時、妻が東京から訪ねて来たが「女人禁制の寺」だったので、会えなかった。松の木の下で呆然とした話が残っています(乃木将軍妻返し松)。

 乃木将軍妻返し松は、残っています。見逃さないように。

 おみくじに金箔がはいっている物があり、その金を「同行二人」と遍路姿の
七福神に貼り付け、ご利益をいただく事が出来ます。
もう、金ピカで、どのくらいの人が貼り付けたのか分からないほどです。
ぜひ、ご利益を賜りたいですね。

 円珍初湯の井戸やお砂踏みがあります。

 長宗我部元親で焼失・復興の歴史あり。

本尊真言・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

御詠歌・まことにも 神仏倉を 開くれば 真言加持の 不思議なりけり

七十七番札所 道隆寺

道隆寺(どうりゅうじ)

 和気道隆が乳母を誤って射殺してしまった。これを悲しんで桑の大木を切り、薬師如来を刻んで堂に安置したのが起源(和銅5年)。周囲5メートル近い桑の大木が、夜ごと妖しい光を放っており、この光を怪しみ矢を射る。
すると。女の悲鳴。乳母が倒れて死んでいたそうです。その桑の木で仏像を彫り、草堂に安置して供養。不思議な事に乳母は生き返ったそうです。
 後に、唐から帰朝した弘法大師に住職が懇願し、90ンチほどの薬師如来像を彫造、その胎内に父・道隆公の像を納めて本尊とした。次の住職は、弘法大師の弟・真雅僧正(法光大師)が務めた。その次は円珍(甥)が務めている。

 長宗我部元親で焼失・復興の歴史があります。また、大地震(貞元年間)などもありましたが、お寺は守り続けられています。

 ここは、お寺を囲むように観音像が立ち並んでいます。

 大師堂の前には、衛門三郎の像があります。

 眼病の寺としても有名です。

 珍しく、稲荷神社が中にありました。


本尊真言・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

御詠歌・ねがいをば 仏道隆に 入りはてて 菩提の月を 見まくほしさに


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