84番85番86番


八十四番札所 屋島寺

屋島寺(やしまじ)

 鑑真和上(律宗の開祖)は唐の学僧。朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航。暴風や難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着。
翌年、東大寺に船で向かう途次、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得。屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建。弘法大師は嵯峨天皇の勅願を受けて屋島寺を訪ね、北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に移し、十一面千手観音像を彫造し、本尊として安置。四国霊場と定めた。

 屋島は、言わずと知れた源平合戦の古戦場跡。観光地です。

 屋島に車で登ってる時、「降りてるようで登ってる不思議な坂」ってのが
ありました。よく分かりませんでしたが(汗)

 お遍路さん以外にも沢山の観光地で賑わってます。水族館もあります。
美術館もあります。山からの景色は絶景です。グルっとウォーキングコースもあります。時間があるなら、1日観光出来ます。

 狸の話があります。霧深い屋島で道に迷った弘法大師は、老人に山頂まで案内されました。後に、その老人が太三郎狸の変化術の姿だと分かった。
おタヌキさんの蓑山大明神があります。かわいいです。
この蓑山大明神は、全国から信者が訪れるそうです。


本尊真言・おん ばさら たらま きりく

御詠歌・梓弓 屋島の寺に 詣でつつ 祈りをかけて 勇むもののふ

八十五番札所 八栗寺

八栗寺(やくりじ)

 弘法大師がここで虚空蔵求聞持法をした時、五本の剣が天から降り蔵王権現が現れて、この地が霊地であることを告げた。降ってきた剣を埋め、大日如来を山の鎮護とし、天長6年(829年)に再訪し開基。唐での修行の成果を確認する為に8つの焼栗を植えておいた。帰って確認すると見事に成長していたので「八栗寺」と名づけた。

 ここは、ケーブルカーで登ります。なんとも言えないレトロなケーブルカー。
動いている時、御詠歌が流れていました。独特のエンジン音?がしました。

 みえている五剣山の山頂には、それぞれに峯がありました。
しかし、宝永の大地震で1つが崩れて4峯となっています。

 中将坊があります。さぬき三大天狗で夜に山から下りてきて、民衆のために良いことをして朝帰る天狗。中将坊堂脇に下駄を奉納し翌日下駄が汚れていれば中将坊が働いてくれた印だそうです。

 お迎え大師があります。展望台になっていて景色を楽しめます。

 ケーブル降りてお寺に向かう途中、岩の中に像があります。

 長宗我部元親で焼失・復興の歴史あり。


本尊真言・おん あろりきゃ そわか

御詠歌・煩悩を 胸の智火にて やくりをば 修行者ならでは 誰か知るべき

八十六番札所 志度寺

志度寺(しどじ)

 志度浦にたどり着いた霊木を凡薗子尼(おおしそのこに、智法尼とも)が草庵へ持ち帰り安置。その霊木から十一面観音を造立し、お堂を建てた。ここは凄く古い。625年大化の改新より20年前。海の民族の頃の氏寺。仏教が入って来たばかりの頃。今の仏教は、鎌倉時代の仏教。それ以前の仏教が残っているのが志度寺。海洋民族としての仏教の姿が偲ばれる。後に、弘法大師が弘仁年間(9世紀始め)この寺に止まり第86番の霊 場にした。

 平賀源内の故郷であり、近くに記念館や、駐車場からお寺への道途中に
お墓があります。

 能楽の作品「海士(あま)」の舞台。「海女の玉取り(不平等の宝珠を龍神から取り返した)」伝説は謡曲などのモチーフになっています。

 本堂左の石塔。海女の伝説の墓だそうです。

 仁王門や本堂は、国の重要文化財です。見どころが他にも沢山あります。


本尊真言・おん まか きゃろにきゃ そわか

御詠歌・いざさらば 今宵はここに しどの寺 祈りの声を 耳に触れつつ


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