19番20番★
第十九番 香西寺(こうざいじ)
奈良時代の天平11年(739年)に行基が勝賀山の北麓に庵を結び、宝幢を刻んで宝幢山勝賀寺として創建。平安時代前期の弘仁8年(817年)空海が現在地に寺院を移し、地蔵菩薩像を刻んで安置した。
嵯峨天皇の勅願寺に選ばれて、寺禄貫を賜り、朱雀天皇のとき、談議所(僧徒学問所)に選定。
国指定重要文化財・木造毘沙門天立像。
四国三十三観音33番・讃岐七福神(毘沙門天)
・ぼけ封じ三十三観音 11番でもあります。
本尊真言・オン カカカ ビサンマエイ ソワカ
御詠歌・南無大悲 延命地蔵 大菩薩 みちびきたまへ この世のちの世(別格)
御詠歌・暮れぬれば さめてねるらむ 酔芙蓉 仏のつねの 笑みにだかれて(四国観音)
第二十番 大瀧寺(おおたきじ)
別格二十霊場のうちで最も高所。奈良時代の神亀3年(726年)に行基が大滝山上に阿弥陀三尊を安置。空海は、青年期に「阿国大瀧嶽ニ躋リ攀ヂ(のぼりよぢ)」て求聞持法を修したと自著「三教指帰」に記している。
この大瀧嶽は当山とも、阿南市の太龍寺(舎心嶽)ともいう。
平安時代前期の弘仁6年(815年)に空海が再びこの地を訪れて寺院を再興し、西照大権現の像を安置したといわれる。天安2年(858年)には聖宝(理源大師)が厄除厄流の大護摩を修法した。
隣接する西照神社とは神仏混淆の山岳信仰宗教施設「西照権現」として存在していました。
ですが、明治初期の神仏分離令により大瀧寺と西照神社とに分離。
四国八十八箇所総奥の院でもあります。
雪が残っている時でした。下の方は全く雪もなく良い天気でしたが、お寺周辺
の道路とお寺は雪。ゆっくり運転が良いと思います。
数珠玉の画像は、数珠の仕立てに出してるので撮影は出来上がってから。
本尊真言・南無西照大権現
御詠歌・霊峰の 岩間にひらく 法の道 厄をながして 衆生ぞすくわる